
2020年11月1日(日)〜2021年1月29日(金)
主催:埼玉県/NEXCO東日本
舞台は、埼玉三偉人の生まれ育った埼玉県北部地域。
スタンプラリーに参加して、埼玉三偉人を知って、感じてみよう!
特設サイト(スマートフォン専用)に掲載されている北部地域内の施設や店舗でオリジナルスタンプを集めると、
抽選で豪華賞品が当たるチャンス!!
熊谷市
荻野吟子は、嘉永4年(1851)に俵瀬村、現在の熊谷市に生まれました。
東京の病院に入院し、婦人科の治療を受けたことがきっかけで、女性医師の必要性を痛感し、医師を目指して勉学に励みました。
しかし、当時は医師開業試験は女性に認められておらず、そのため制度の改革から取り組み、自身で拓いた試験の道を第一回目で合格し、日本で最初の公認の女性医師となりました。
開業医として熱心に治療にあたったほか、女性の地位向上や衛生知識の普及にも大きく貢献しました。
深谷市
渋沢栄一は、天保11年(1840)に血洗島村、現在の深谷市に生まれました。
慶応3年(1867)に渡欧して西欧先進諸国を歴訪し、経済制度や近代的技術を目の当たりにしました。帰国後、明治新政府に出仕して、租税事務の処理、新貨条例・造幣規則、国立銀行条例の起草立案などに当たりますが、ほどなく実業界に転進しました。
常に「論語」を処世の基本理念とし、道徳経済合一説を唱え、第一国立銀行をはじめ、鉄道・製紙・造船など500社にものぼる企業の設立・育成に関わりました。また、福祉や教育などの社会事業にも熱心に取り組み、600余りの社会事業に力を注ぎました。
本庄市
塙保己一は、延享3年(1746)に保木野村、現在の本庄市に生まれました。
7歳で病いにより失明し、12歳で母を亡くしました。15歳の時に江戸へ出て、その後学問の道を目指しました。
安永8年(1779)から、全国に散らばっていた多くの古い記録や史料を集めて分類、整理を41年間にわたって行い、670冊にまとめて出版するという大事業を成し遂げました。これが「群書類従」であり、今でも歴史研究に活用されています。
ヘレン・ケラーが来日して講演した際、塙保己一を「私の人生の目標とした人であり、心の支えです」と語っています。
さぁ、みんなで埼玉三偉人の「足跡を辿る旅」に出かけよう!
上のQRコードをスマートフォンでスキャンして特設サイトにアクセス!
新しい旅のエチケットについて、くわしくはこちらをご覧ください。